「それじゃあ、お兄さんの方が全然先輩っすねぇ!」
比叡山坂本駅からアマンクロスに向かう車中、やけに気さくな運転手は楽しげにそう答えた。その運転手はコロナの影響で、今年になってからアマンクロスに転職したのだという。確かに、今までの送迎ではこれほど積極的に話しかけてくる運転手はいなかった。仕事の帰りですか……今日は誰にお入りになられるんですか……東京から来られたんですね……どれくらい通ってらっしゃるんですか…………「一応、今年で4年目になりますね。とはいえ年に2回程度なので常連を名乗れるような立場でもないんですけど…」と返したところで出てきたのが冒頭の運転手の言葉だった。
2017年の6月に初めてアマンクロスを訪れてから、数えてもう3年半になる。運転手に答えた通り、歴は4年でも回数としては今回が8回目に過ぎない。2017年が2回、2018年が3回、2019年が2回。そして今年、2020年は11月の後半に差し掛かろうというタイミングで、やっと初めてアマンクロスに足を運ぶ機会を得たのだった。『アマンクロスは夏の季語』とは一体誰がぬかした言葉だったであろうか。とうにポイントカードの期限は切れている。
挿絵① 午後8時の比叡山坂本
挿絵② ようこそ比叡山坂本へ(定番)
初めてアマンクロスを訪れてから3年半。それはすなわち、如月めいさんに出会ってから3年半ということでもある。まさか、雄琴のソープ嬢と東京の一般人の関係がここまで続いているとは、たとえ年に2回の細い糸だとしても切れずに繋がっているとは、『アマンクロス』レポート①を書いた当時の自分は想像もしなかったことだろう。今回も、コロナ禍の隙を突いて大阪に行こうと旅程を立てたとき、真っ先に検討したのはいかにアマンクロス訪問というイベントを成立されるかであった。めいさんがアマンクロスにいる限り、"如月めい"であることを辞めない限り、私はたとえ年に1回の邂逅であってもその縁を繋いでいきたいと思っている。
…そんな話をぼんやりと運転手に語っていると、「それはある意味、恋人や夫婦なんかより貴重な…素敵な関係ですね…!」と感動されてしまった。ちょっとそれは勘弁してもらいたいが、確かに、もはやアマンクロスに行くのはセックスが目的ではなくなっているのかもしれない。確認作業なのだろうか、人生が進んでゆくことの。
挿絵③ ずっとある
挿絵④ 夜のロータリー
車窓から見える雄琴のロードサイドは暗い。単に1年半だけ時間が進んだからなのか、コロナが変えてしまったからなのか、前回よりも更地や廃業した建物が増えているような気がした。時間は20時40分。比叡山坂本駅で20時半に送迎の車に乗り、21時からの予約で雄琴に向かっている。
実は、今回はアマンクロスに行けない可能性や如月めいさんに会えない可能性も十分にあった。この日は天王寺のホテルで日が落ちるまで仕事をする必要があり、アマンクロスに行ける最短は21時からの回。しかし、雄琴から天王寺に戻る終電にも間に合わせる必要があるため、21時から70分のコースしか選択肢がない。すなわち、21時からの70分コースというピンポイントの選択肢で如月めいさんの予約が取れなければご破算でございますだったのだ。もしもダメだったら、フォーナインの『初回限定お試しプラン』に突撃するという代替策を用意していたが、ここまで書いてきた通りアマンクロスの送迎車で気恥ずかしい会話をしたということはすなわち、針の穴を通して2020年も縁を繋ぐことができたということである。
送迎車の右前方がフワっと急に明るくなり、雄琴の"街"に着いたことに気付く。見慣れたゲートをくぐり、見慣れた建物の前に車が止まる。今さらだが、送迎車に乗ってきたのは私一人である。さすがに第三者がいる環境で運転手とあんな話はできない。コロナで色々と大変な状況であり、送迎車に乗ったのが私ただ一人だったこともあり、店に入るまではアマンクロスも今は厳しいんだろうな…と考えていたのだが。
挿絵⑤ 麒麟
挿絵⑥ がくる
受付で入浴料の支払いを済ませると、通されたのはいつもの待合室ではなく、いわゆる"上がり部屋"の方だった。やや意外に感じながら名残惜し気に待合室の方にチラリと目線を向けると、ほとんどの部屋に先客がいた。アマンクロスはコロナ禍の水曜21時でも盛況だったのだ。考えてみれば平日のこんな時間に湖西線に揺られて比叡山坂本駅まで来る客の方が常識外れで、この時間帯の客は大方自分の車で来るか、雄琴の温泉街に宿を取っているのだろう。
かくして、狭い一畳間のソファに座ってその時を待つことになったのだが、客の流れが止まらない。あろうことか、上がり部屋すらほぼ満杯になってしまい、私の隣にも客がやってきてしまった。上がり部屋は一つ一つのスペースが狭く、薄いカーテンで仕切られていることは待合室と同じでも、隣の客との距離が非常に近い。この至近距離で待合室プレイを見せ合うのはちょっと恥ずかしいのではないか…?などと、4年目にして無垢なる感情を抱いてしまった。が、隣の客とスタッフのやり取りを聞いているうちに、隣の客が初アマンクロスであることを認識する。二人か三人のグループで来ていたので、経験者に連れてこられたのかもしれない。現代に生きる人間はマウントを取るのが大好きなので、隣の客が初アマンクロスと分かるやいなや、恥ずかしさは消えて「いっちょアマンクロスの先輩たる僕がめいちゃんとのラブラブ濃厚待合室プレイを実演したろうかい!」という気分になっていた。愚かなものである。
挿絵⑦ 小中学生がたむろすることでお馴染みコロッケ工房(閉)
挿絵⑧ みんなだいすきラーメン一徹(閉)
21時。上がり部屋の右端に座っているので、スタッフの静かなざわめき、キャストの靴音が一番鮮明に聞こえてくる。一歩ごとに大きくなり、目の前で消える靴音。カーテン越しに映るシルエット、静かにカーテンが横にのけられ、目と目が合う。アマンクロスの全ては、この瞬間にあると言っていい。
何年目だろうと、何回目だろうと、顔を合わせた瞬間に"嬉しさ"で一瞬にして緊張が解けて表情が緩んでしまう。それはずっと変わらない。微笑みながら一言、二言だけ言葉を交わすと、すぐに互いの口を塞ぐ。ふんわりと甘い香りが鼻を抜け、柔らかな舌が触れ///////////////
あ
あ
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階段を登る途中、めいさんに元気にしてた?と聞かれた。元気になれない事情を抱えていた私は少し言い澱んだ挙句、うーーーん、少し。と噛み合わない返事をした。今回はたったの70分しか時間がない。そんな時にひと月前に起こった出来事と、そこに至るまでの一年間のことをスタートから説明している場合ではないのだ。
だが、部屋に着いて最初の営みをしっとりと終え、シャワーを浴びる準備をしながら一休みしている最中、ごく簡単で単純な事実が判明する。読んでいたのだ。ブログを。あの記事を。どうも、当日の朝に21時からの予約が私だと判明したことで、わざわざブログとツイッターを見返してくれていたのだという。ブログを開けば真っ先に飛び込んでくるのは【バーレスク東京レポート(終)】(11月18日当時)である。さすがに1万と2千字を隅々まで読み込む時間はなかったそうだが(そんなことされたら恥ずかしさによる全身火傷で死亡していた可能性が高い)、おおよそ私の人生に何が起こったのかは把握してくれていた。ちなみに、他のバーレスクレポートも最初の方は読んでくれていて、もう一人の"メイ"がいることも知っていた。途中から「楽しそうにしてて嫉妬した」という理由で読まなくなったそうだが。嫉妬て。とにかく、近況報告やバーレスクという概念についての説明に時間を割く必要はなかったのだった。
70分かつ昼間に飛田新地で一回戦を終えているという逆境は承知の上で、2回目の交わりはマットでお願いすることにした。私はもうアマンクロスとカモミール以外の場所ではマットがあっても遠慮するようにしている。差があり過ぎるのだ。アマンクロスの、めいさんのマットと、そこらの店のそこらの一般女性のマットでは。
ローションをのばしたマットの上でうつぶせになると、ほどなく///////////////
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不思議なことがあった。///////////////
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結論から述べるなら、射精はしていない。そこだけを捉えるなら2回戦は敗退ということになるだろう。
ただ、極限に達した時、射精した感覚だけがあった。感覚だけがあり、射精はしていないという事実もまたあった。空イキ?こうなってしまうと後はキツいか…やっぱり飛田に行ったのが…と後悔すること一瞬。
すぐに異変に気付く。絶頂の状態が解けていない。射精という現象を伴わないまま絶頂感を得て、ずっと100のまま高止まっている。
混乱と快感の渦に飲まれてコンマ何秒、もしくは何秒、もしくは何十秒、もしかして数分だったのか、精神が焼き切れそうになる中、めいはずっと眼前で腰を動かしてくれていた。もはや射精感は無い。しかし絶頂の状態で動かない。快感のスイッチをオフにするレバーが消滅している。ブレーキを失った列車の行く末は、脱線?衝突?爆発?炎上?すなわち…死?もしかしたらこの状態を人生のフィナーレにすべきなのか…という考えすら頭をよぎったところで、我に返り、止めた。ドクターストップ。もしくはタオルを投げ入れるという意味で、止めた。///////////////
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二人で階段を降りる。70分ではあったが、これまでと同じように幸せな時間は過ごせたし、現実だったのか未だに判然としない神秘的なことも起こった。アマンクロスを卒業するとしたら、めいさんが先に卒業した時か、"変わり映えがしなくなった"と感じるようになった時なのだと思う。ただ、どうやら後者の理由での卒業はまだしばらく無さそうだ。
着いた時と同じ上がり部屋に通されると、出てきた烏龍茶に口を付けるか付けないかのタイミングで、少し慌ただしく行きの送迎車の運転手が入ってきた。
「急げば次の京都行きに間に合いますが、どうしますか?」
彼の指す"次の京都行き"とは、22時23分発の電車だろう。21時から70分だと終了は22時10分。そこから上がり部屋で休んで送迎車に乗って駅に戻るのでは22時23分は絶対に間に合わないだろうと思い、私は最初から次の22時42分発の電車に乗るつもりでいた。
(ちなみに、比叡山坂本→天王寺の真の終電はその次の23時03分発なので、21時からの100分コースや130分コースはほぼ詰みという結末になる)
とはいえ、1本早い電車に乗れるのならば安心感は増すし、何より帰りの電車のダイヤまで調べて送迎車を飛ばそうとしてくれる店の心意気に感動し、「全然次の電車でも間に合うので、安全運転でお願いしますね…?」と答えつつ黒のヴェルファイアに飛び乗ったのだった。
車内で運転手が競馬好きだということが判明し、ラヴズオンリーユーがねぇ…なんて話をしながら、なんと22時20分には駅に着いてしまった。ここまできたなら運転手の厚意と頑張りには報いねばと思い、小走りでホームに向かい、23分発の湖西線に飛び込んだ。
ふう
— あでぃす (@AddisKurofune) 2020年11月18日
2020年11月18日午後10時28分。
これはアマンクロスで事を終えた意味での「ふう」ではなく、電車に飛び乗って一息ついたところでの「ふう」であった。
その後感染者が増えてGoToが停止され、再び関西に向かう機会を得られないまま2020年は終わった。年に2回はアマンクロスに行く、それが如月めいさんへの信義だと心に決めていた私だったが、4年目にして年1回になってしまったことは残念である。
今年は果たしてどうなるのか。何度関西に行けるだろうか。飛田の誘惑に負けず雄琴に足を延ばせるだろうか。30歳になったしフォーナインも行っといた方がいいのか。もう⑧まできたけどいい加減需要あるのだろうかこのブログ。ていうか新年一発目がこれか。なんなんだもう。あーもう涅槃。涅槃でありたい。涅槃でありたい?…ん?涅槃ってどういう動詞に繋げるのが正解なの?涅槃に行く?涅槃に入る?涅槃になる?涅槃を得る?涅槃…ねはんとは…なに…?以上、あでぃすでした。さようなら。