あでぃすでぃす

一つ文章を書くたびに寿命と社会的評価が削れていくおブログです。

メイちゃんの卒業に際して

今日、一つのストーリーが終わる。

メイちゃんは、こと『バーレスクブロガーのあでぃす』という人格にとっては、良い様に言えば『創造主』であり、素直に言えば『一目惚れの相手』であり、このブログらしく言えば『諸悪の根源』であったと思う。

初めてバーレスク東京に行った2019年10月22日。「一度だけ」「社会科見学」「ブログにも書けそうだしね」というテンションに過ぎなかったあでぃすの足首と心を掴んで沼の入り口に引き摺り込んだのがメイちゃんだった。

 

ステージの上で踊る彼女に、あでぃすは一目惚れをしてしまったらしい。敢えて"らしい"と他人事のように書いたのは、もう当時の稲妻のような感情を思い出せないから。10か月という月日は、短いようでいて、人の心にとっては長い。

 

[[感情① マジのお願いなんですけど届いて下さい]]

 

えーとですね。

 

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この、ボードを持ってくれてたシャンパンガールの子って、

 

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多分、この子だと思うんですけど。

 

名前が、分からないんです。もしもこの記事がバーレスク東京の有識者に届くことがあれば、この子のこと、教えてもらえないでしょうか。

 

なぜかというと、一目惚れしてしまったんです。あ、ラブじゃなくてライクの方で。いや、ラブでもいいけど。シャンパンの時は別に意識してなかったんですけど、ショーが始まってからの煌めきにやられて、惚れて、目が離せなくなってしまったのです。

 

残念ながら、ショーの後の時間で我々のところに来るタイミングが無かったので話すこともリオンを渡すことも名前を聞くことも一緒に写真を撮ることも叶わなかったんです。名前さえ分かれば、ツイッターとか、インスタとか、そこから出勤予定も分かるので…!

 

すみません、これはマジのお願いなので、協力よろしくお願い致します。

 

あでぃすという人間が書いた六本木のショークラブ『バーレスク東京』に行ったんですけどという記事からの引用である。ショーが始まってからの煌めきにやられて、惚れて、目が離せなくなってしまったという。しかも、名前を聞くことも一緒に写真を撮ることも叶わなかったのに、こんなことを書いているらしい。この日は一言も話せていない。それなのに、一目惚れしたから名前を教えてほしいとブログで助けを請うとは、なかなか大胆というか、狂気的ではないだろうか。当時のあでぃすよ。

 

ブログを見返してみると、メイちゃんはマテリアルガールのクイーンだった。もちろんその当時は演目が何だとか、誰が出ているとか、メイちゃんといえばマテリアルガールだとか、そういう知識は完全にゼロだったけど、10月22日の1部にメイちゃんがクイーンのマテリアルガールがあったことは、運命と言って差し支えない。もし行ったのが10月21日だったら?もし22日の2部だったら?レポートに「この子に一目惚れしました」という段落が生まれることはなく、バーレスクに通い続けることもなく、今こんな文章を書き殴っていることもなかったのだろう。そう考えると、メイちゃんはやはり『決定的』な存在としてその日のバーレスクに居た。

 

この記事はどういう神の差配があったのかバーレスク界隈に拡散されてしまい、4時間後に『mei』という名前が分かり、2回目のバーレスクに行く踏み切り台となり、現在に至る。

(その後の調査により、プロデューサーの良太さんがグループラインでこの記事すごいから読んどけと店の子たちに紹介したらしいという噂を聞いたが、その件については今更である)

 

未だにこのブログのバーレスク関連記事でアクセス数1位と2位を守っている

六本木のショークラブ『バーレスク東京』に行ったんですけど

続・六本木のショークラブ『バーレスク東京』に行ったんですけど

この2本。今のあでぃすの立ち位置からは想像できないかもしれないが、ひたすらにメイちゃんのことばかり書いている。

 

さて、2回目のバーレスクは11月5日だった。と、書いてある。

2回目のバーレスクの動機は完全無欠の「メイちゃんに会いに行く」というものだった。1回目の記事がメイちゃんに拾われ、ツイッターでリプを貰ったりインスタの投稿で紹介されたりして、チョロQよりも簡単に走り出せるチョロさのあでぃすは「直接会って話さないと一生後悔する」と本能的に感じ取り、そして、行った。4日に予約を取ったら4日はいないと後で判明したので5日に予約を取り直して、行った。

 

もしも、である。もしもそこで「期待したほどじゃなかった」とか「なんかイメージと違った」といった気持ちになっていたら、今度こそあでぃすのバーレスク道は終わっていただろう。

 

つまり、今のあでぃすという存在そのものが、メイちゃんの魅力の証明になる。

メイちゃんがいたからこそ、1度限りのはずのバーレスクに再び行くことになり、3回行くことになり、4回行くことになり、冬を越して、春を耐えて、夏を迎え、今、卒業の瞬間を目の前で見届けようとしている。

 

 

ただし、あでぃすとメイちゃんの関係はこの後で次第に暗転していく。いや、暗転という表現は正しくないが、最初のような熱量は徐々に失われていった。それは認めなければならないし、永遠に後悔し続けなければならない。

ノアちゃんの存在である。残念だが、あでぃすには器用さが無い。2人同時に推すことが出来ず、次第にノアちゃん一本の道を選ぶことになり、メイちゃんは「一目惚れの相手」から「バーレスクの仲良しの一人」になっていってしまったのであった。

 

それでも、メイちゃんは今日に至るまで特別な存在であることに間違いはなかった。メイちゃんの予定に合わせてバーレスクの予約を取ることは無くなってしまったし、バケツ以上のリオンを渡したりシャンパンを開ける機会もないまま今日になってしまったけど、行く日にいると分かれば心が躍ったし、「推しから降格させてしまった…」という負い目を常に感じていながら、会うといつも「あでぃすさ~~~ん!!!」と叫んで駆け寄ってくれるメイちゃんの存在は本当に嬉しかった。

 

そして、メイちゃんとの縁によって『チーム世界観』を知り、とりわけぷりんちゃんの魅力に気付くことが出来た。これは本当に大きい財産だと思う。コミュ障で陰キャのあでぃすが、メイちゃん無くしてぷりんちゃんと接することが出来たか?ノアちゃん無くしてまりんちゃんと接することが出来たか?そういうことなのだ。

 

このことを書いてみて思ったが、メイちゃんには『人と人を繋げる力』があるのではないかと思う。メイちゃんから人の輪が広がり、メイちゃんによって繋げられた人たちからまた輪が広がり…あでぃすもまたメイちゃんの魔力によってバーレスクという世界に繋ぎ留められた一人だが、直接的にも間接的にもメイちゃん経由で得たモノ、得た縁というのは本当に大きい。ちなみに、ふたばちゃんも初めてその魅力に気付きかけたのはメイちゃんと何かしてたインスタのストーリーだったと思う。

 

 

f:id:addis:20200311024135j:plainチーム世界観の最高な写真です。ちょっと可愛すぎる。次はいぶきちゃんも含めて3人(4人)で撮るぞという新目標が誕生しました。

 

f:id:addis:20200311024146j:plain最高過ぎるので2枚載せますけど。おっさんを見切れさせてるのはメイちゃんぷりんちゃんを引き立てるための敢えての作法です。

 

3月9日のブログより。結局4ショット、撮れてないな…。今日撮れるかな…。うーん、無理だろうな…。

 

 

 

メイちゃんへの一目惚れで始まったバーレスク。行く回数が増えて、バーレスクの色々なことを知るようになって、ノアちゃん推しになり、ふたばちゃんを見つけ、しおりちゃ…姐さんを頼るようになり、まりんちゃんが、ラムちが、ひまちゃんが…となるうちに、

 

自戒を込めて表現するなら、あでぃすはメイちゃんを隅に追いやってしまっていた。そこにはメイちゃんなら許してくれる、変わらず接してくれるという甘えがあったかもしれない。誕生日のチーム世界観公演の時に遠隔で100リオンを送った。その時に言われた言葉、半分は「やりおる」と思いつつ、もう半分は自分の態度を見透かされたようで、心が痛んだ。

 

果たして、今の自分にメイちゃんの卒業を現地で見送る資格はあるのだろうか?メイちゃんに「ありがとう」「おめでとう」「愛してる」と言葉を贈る資格はあるのだろうか?いざ卒業という瞬間を迎えてみると、運命的なスタートを切ったことに甘えてしまい、その後でメイちゃんへの気持ちを保ち続けられなかったことに悔いばかりが浮かぶ。

 

メイちゃんの卒業にあたり、自分のブログを見返してきた。ここでダラダラと書いてきたことの繰り返しになるが、本当にメイちゃんに支えられてきたからこそ続いてきたバーレスクの10か月間だった。恩返しが出来ないまま卒業してしまうのは、本当に辛い。

 

が、"辛い"とか"嫌だ"とか、そんな単語はメイちゃんの卒業には似つかわしくない。絶対に泣かないぞ。といっても泣いちゃうんだろうな。デレマスの『story』を無限ループしながらメイちゃんのこと考えてるだけで泣いたし。バーレスクに着いたら不泣の契りとか一瞬で破棄されそう。せめて、涙をボロボロ流しながらでも笑っていたい。